こんばんは
いつもありがとうございます。
昨夜お祭りから帰ったら、数日前から利用時にガスのにおいがしていた湯沸し機が
故障しお風呂に入れなくなりました。
水しか出ないので翌日修理を呼ぶことにして銭湯に行き
なおるまで数日は銭湯通いかと、昔の歌の歌詞を思い出して
ワクワクしていたのですがたいした事はなく、おかげ様で
着火部品の交換数分で修理が終わりました。
今日は昨日の続きになります。
あらかたのものを調べつくし、
この世に私が治るものは存在しないのかと思うようになりました。
心理学はここ100年くらいのもので、昔も鬱病はあったでしょうが
大体の人は食べていくために昼間は労働し、暗くなったら疲れてスコンと眠り
の繰り返しで、いまより生きることがシンプルであったように思います。
むかし、お釈迦さまはシャカ族の王子様で衣食住に困らず
肉体的労働の必要がなかったためそのエネルギーを使って悩めたのだと思います。
悩むにはそれに費やせる時間とエネルギー、お金が必要です。
悩むこと以外には時間やエネルギーを使わないことを選択しています。
趣味や日常生活、他の活動をするよりも
悩むことに意義を見出して最優先に悩んでいる
=悩みたくて悩んでいる
私達は意味のないこと、メリットのない事はしないので
悩んでいる人は実は「悩むことでなにか得ているもの」があります。
得たい物が何かが分かったら鬱病をしている
(病気を使う)必要がなくなり
本当に欲しい物をゲットしに行けばOKなだけになります。
そうすると悩みたくても悩めない状態になります。
抵抗して流れがせき止められていた人生がスルスル進んで行きます。
もしかして
人生が前に進んでいくことをとめるために鬱病になっている人は
解決すると困るので、本当にほしい物がなかなか何か見つからないことがあります。
しかし前進したくないことが分かればもう、鬱病になっている必要はなく
「あぁそうなんだね」 で欝は終了します。
自分は欝でいたい、前進したくないんだと理解すれば
逆転して人生は前進して行きます。
どちらにしても幸せになってしまう
「悩みたくても悩めない」
これが欝になったからこそストレスクリアに出会い
私達夫婦が得たものです。
コメントを残す